約2年間の監禁に疑問の声
2014年3月10日から行方不明となっていた埼玉県朝霞市の学生が、約2年もの長い期間、千葉県千葉市稲毛区内のアパートで監禁され、2016年3月27日に東京都内で保護された事件。
翌日に容疑者が逮捕されているため、ニュースなどでも報道されているのだが「なぜ逃げられなかったのか?」という疑問の声も多くあるのは事実だ。
本日はこの事件について少し考えたいと思う。
埼玉県朝霞市学生監禁事件の時系列
2014年3月10日
午後3時10分頃、学生は通っている学校から下校していることが確認されており、自宅付近で10代後半くらいの男性と立ち話をしている姿も近所に住む女性(49)が目撃している。
午後5時頃、自宅に帰ってきた母親(40)が、学生が家にいないことに気付く。
その後、郵便ポストを見たところ、走り書きのように殴り書きのような字だったというが、下記のような学生自筆のメモが残っており、携帯電話や財布は自宅に残されたままだった。
1通目の手紙
「家も学校もちょっと休みたいです。しばらく友達の家にいます。探さないでください」
母親はすぐに捜索願を出し、警察が行方を捜したが、友人らからも有力な情報を得ることは出来なかった。
2014年3月13日
警察は学生の顔写真や氏名などを公表し、公開捜査に踏み切る。
2014年3月14日
朝霞署員や機動隊員ら30人が、中学校北側の黒目川河川敷などを捜索するが手がかりは掴めない。
2014年3月19 日
埼玉県上尾市の消印が押されてた学生の自筆とみられる手紙が父親宛てに郵送で届く。
この手紙は下記のような内容だったという。
2通目の手紙
「元気ですごしている」
「迷惑をかけてごめんなさい」
「しばらく帰れない」
行方不明直後はニュースやワイドショーなどでも連日報道されている。
この期間、生徒の両親が同僚らが最寄りの駅でチラシの配布。
テレビ出演などもしながら情報提供を求め、警察も行方を捜していたが有力な情報はなく、安否が気遣われていた。
そして事件が急展開する。
2016年3月27日
学生は容疑者が外出している間に、監禁場所から脱出し、東京都中野区にあるJR東中野駅近くの公衆電話から自ら母親へ電話をする。
その後、「助けて欲しい」と学生の声で110番通報があった。
警視庁の警察官らが現場に駆けつけた際、学生証を持っていたことですぐに身元が確認され、無事に保護された。
警察に対して学生は「一緒にいた男がいなくなった隙に電話をかけた」などと話しており、直前まで男と一緒だったと推察される。
同日、警察は未成年者誘拐の容疑で容疑者の逮捕状を取る。
2016年3月28日
未明、埼玉県警が容疑者の名前と顔写真を公開し、指名手配とする。
そして午前3時半頃、静岡県伊東市内より「血だらけの男が歩いている」という110番通報が静岡県警にあり、間もなく駆けつけた同県警捜査員が所持していた免許証で身元を確認し、容疑者を確保した。
埼玉県警朝霞署捜査本部によると、容疑者は怪我などを負っているが話はできる状態だったという。
監禁事件の経緯から推察する疑問点
皆さんこの監禁事件の報道で下記のような疑問が出てくるのではないだろうか?
- 学生はどんな理由で拉致されたのか?
- 学生はどんな経緯で監禁状態となったのか?
- 容疑者は学生を監禁しながら、どのように大学に通っていたのか?
- 隣人を含む近隣住人は、容疑者の1人暮らしだと思っていたようだが、どのような状態で学生を監禁していたのか?
- 学生は容疑者と外出することは無かったのか?
- 学生の服などの生活用品は、どのように購入してたのか?
- 大学生に通う容疑者が、2人分の生活費をどのように工面していたのか?
- 学生はなぜ2年間も「大声で叫ぶ」「壁・窓・ドアなどを蹴る」などの行動を起こさなかったのか?
- 学生はなぜ容疑者が大学に通っている時間帯に行動を起こさなかったのか?
- 学生はインターネットを観る時間があったのに、なぜSOSを発信できなかったのか?
一番の疑問点は、容疑者が学生を監禁しながら、2016年春には千葉大学工学部を卒業しているということではないだろうか。
※同事件発覚後、千葉大学側は「卒業取り消し」の処分を行っている。
また、同容疑者は学生と共に、千葉県千葉市稲毛区から東京都中野区東中野のアパートへ引越しをしており、この際に女性が掃除をしている姿が目撃されているらしい。
2年間の食材はほぼインターネットで購入
学生は埼玉県警に対し、2年間の食生活に関して「材料はほとんど自分がインターネットで買っていた」とも話しているのだ。
また、台所は非常に使い込まれた跡が残されているとの報道から、学生が容疑者の食事を作っていたとも推察できる。
一般的には理解し難い状態であるのだが、監禁されている学生自らがインターネットで生活用品を注文できる状態の監禁生活や容疑者の監視とはどのようなものだったのだろう?
また、報道されている学生を偽名で呼ぶなどの状況、学生が髪を切っている状況などから、容疑者の厳重な監視下で学生は外出していた可能性も高いのだ。
学生がこのような状態であっても、逃げられないという心理となっている現状から察すると、精神的にも極度に追い詰められたことによって逃げる意思を無くしていた可能性、慎重に逃げる機会を窺っていた可能性などが考えられるのだが、はたして真相はいかなる状況だったのだろう?
一般常識に当てはまらない状況なので、考えていくにつれ疑問が増えていくような気もする。
第一の監禁場所となった千葉県稲毛区のアパート
容疑者が約2年もの間、学生を監禁していたのは、自身が在籍していた工学部がある千葉大学の真向かいに所在する千葉市稲毛区の3階建アパートの最上階の1室だった。
同アパートは築年数31年と少々古めだが、1本の道路を挟んで千葉大学に隣接し、風呂とトイレは別で浴槽などもリフォームされていることから、大学に通う学生には好立地の物件と言える。
第一の監禁現場となった同部屋の間取りは、6畳洋室と6畳和室がある約40平米程度の2DKなのだが、昼夜問わず窓は遮光カーテンなどで完全に覆われていたと推察される。
そして、一番重要な玄関ドアは外出する時に外から鍵をかける構造で、室内からは開かないようになっていた。
また、ドアスコープには外部から室内を確認できないようにするため、目張りが貼られていたということなどから、容疑者はかなりの警戒心を持っていたものと判断できる。
監禁アパートの近隣住人や捜査関係者の証言
「容疑者の住んでいたアパートに何度も訪れ、部屋の中に入ったこともある」という某電力会社社員は、メディアの取材に対してアパートの構造などを考えてこう述べている。
「(学生が)大きな声を出せば隣の部屋や外に必ず聞こえたはず。」
また、捜査関係者もアパートの構造などを考えてこう述べている。
「このアパートは壁も薄く、住んでいる人もけっこう音は響く。」
アパートの隣人などは、メディアに取材されるまで容疑者は1人暮らしだと思っており、学生が監禁されているとは気付いておらず、女性の声なども一切聞いたことがないという。
父親は会見で、学生の性格を「逃げる機会はこれまでもあったかもしれないが、慎重な子」と話していることから、やはり再三逃げる機会を窺っていたが100%の確率で逃げられるという確信を得るまでに、2年という歳月がかかってしまったのかもしれない。
この2年という歳月からも、容疑者の厳重で執拗な監視があったことは間違いなさそうだ。
中学生からあった誘拐という歪んだ願望
警察の取り調べに対し、容疑者は「中学生のころから女の子を誘拐したい願望があった」と供述していることから、願望を実行へと移したのが今回の学生誘拐・監禁事件ということになる。
有名大学に通うエリートでありながら、一般常識とはかけ離れた「誘拐」という願望を満たし、約2年におよぶ監禁・監視生活をしていた容疑者。
真相に関しては、今後警察での取り調べや裁判で明らかになっていくだろう。
今は約2年間、恐怖とも言える異様な生活をしていた学生の心の傷が癒えるのを切に願うばかりである。