またまた神社仏閣が大好きな探偵エルです。
先日、「大本山成田山新勝寺」についてかなりざっくりとご紹介しましたが、皆さんは千葉県内にもう1つだけ「大本山成田山」があるのはご存知でしょうか?
今回は偶然立ち寄ったもう1つの「大本山成田山」についてご紹介したいと思いますので、お時間があったら是非読んでみてください。
何かに導かれ訪れた成田山
とある日の調査前の出来事。
本当に偶然でしたが、立ち寄った先で見慣れない鳥居と、見慣れた名称を発見したんです。
それは、かの有名な「大本山成田山」という文字。
そうそう、千葉県成田市に所在するあの成田山新勝寺の「成田山」という文字でした。
昔から千葉県成田市以外にも「成田山」という場所があるのは知っていたんですが、偶然立ち止まりふと目にしたのがこの場所だとは・・・。
何やら奥には仏像?の様な物がそびえ立っています。
何かの力に導かれた様な気がしたので参拝してみる事にしました。
成田山御本尊上陸の地【鳥居】
この場所は、千葉県成田市にある「成田山の御本尊が上陸した地」だというのです。
時は天慶2年(西暦939年)までさかのぼります。
現在、成田山の御本尊となっている不動明王は、平将門の乱を鎮めるために寛朝大僧正が奉持して、難波の津から東国をめざして出帆したと伝えられています。
その後、遥かな海路を無事乗り切り、横芝光町尾垂総領一本杉海岸に上陸したのだとか。
その後、寛朝大僧正は公津ヶ原(現在の千葉県成田市)に護摩壇を築き、21日の御護摩ご祈祷を修し、満願の日に乱が平定されたと「成田山大縁起」などには記されています。
成田山御本尊上陸の地【鳥居横案内板】
また、鳥居に設置されている案内看板にはこの様な説明書きもありました。
成田山上陸地
平安時代の中頃に垣武天皇の子孫の平氏が東国へきて勢力を張り、その一族の平将門が反乱を起こしたとき、それを鎮めるために寛朝僧正によって不動明王像が都から大阪を経て船で運ばれ、尾垂の浜に上陸、調伏祈願をしたところ、天慶三年(九四〇年)乱は鎮まりました。
この時の不動明王が、成田山新勝寺の本尊です。平成三年三月 光町教育委員会
成田山御本尊上陸の地【敷地案内板】
それでは中に入っていきます。
数段の階段脇に設置されている案内看板にはこの様な説明書きがありました。
光町指定史跡
成田山御本尊不動明王御上陸之地
平成十年四月二十三日指定
天慶の乱(平将門の乱)の時、将門調伏の祈禱のため寛朝大僧正が京都から海路、不動明王尊像を奉持して、ここ尾垂ケ浜に上陸しました。
その不動明王尊像は、現在の成田山新勝寺の御本尊です。平成十年十二月一日 光町教育委員会
成田山御本尊上陸の地【石標】
大きな石標には「成田山本尊不動明王御上陸之地」という文字が見受けられます。
撮影時は強い夕陽が差し込んでいたので少し色合いが違うかもしれませんが・・・お許しください。
成田山御本尊上陸の地【不動明王像】
数段ある階段を上った最上部には2本の石標と1体の不動明王像。
この不動明王像だけが参拝者を見下ろす何とも異様な光景です。
しかし、夕焼け空も相まってなんとなく幻想的な世界感です。
真下までくると怖い怖いお顔の不動明王像から見下ろされる。
不動明王像なので、こんなに怖いお顔です。
見下ろされているので、なんとなく恐縮し、気持ちが引き締まる感覚になりました。
不動明王像からの眺め
「成田山の御本尊が上陸した地」最上部にいらっしゃる不動明王像付近から見える風景をご紹介したいと思います。
夕焼け空を背景にした不動明王像。
西へ沈む夕陽は不動明王像の左後方へ落ちていきます。
写真の左側側は千葉県の九十九里浜。
写真の右手側には成田山新勝寺御本尊の不動明王がいる千葉県成田市。
海岸側の空から現れる沢山の飛行機が着陸態勢に入りながら、成田空港へ向かう光景。
夕焼け空の中、海岸側から現れ着陸態勢に入る飛行機からの不動明王像の存在感は絶大です。
成田山御本尊上陸の地【所在地】
ここ「成田山の御本尊が上陸した地」は九十九里浜の海岸沿い。
所在地などの詳細は下記をご覧ください。
その他のサイトでもご紹介されていました。
湿気も少ないこれからの時期は、「成田山の御本尊が上陸した地」で参拝を兼ねて不動明王像と共に朝焼けや夕焼け空を眺めるなんてのも非現実的でいいのではないでしょうか。
探偵エルは個人的にこの場所はとても気に入りました。
皆さんも「成田山の御本尊が上陸した地」の近隣へ訪れたり、ご興味などがありましたら是非とも参拝してみてくださいね。
特に元旦の初日の出なんかは最高だと思いますよ。